絵画における女性像といえば、若く、美しく、肉体を惜しげもなく見せる作品を当たり前のように鑑賞していますが、果たしてそれは女性のすべてを表しているのでしょうか。「女性の身体の美術史」(以下、本書)は女性像の歴史をなぞりながらそこにある眼差しの変化を紐解くものです。
(本記事でアーティストの名称表記は本書に習っている旨、ご了承の程を)
ヴィーナスから始まる女性像史
本書は主に西洋美術の中で描かれた女性像の主要作品とその解説で構成された一冊です。ルネサンス期のボッティチェッリによる「ヴィーナスの誕生」から現代までの作品の中で女性をモチーフにした作品をピックアップし、その変遷と意味合いを語っていきます。
その「ヴィーナスの誕生」は古代ギリシャ彫刻からの伝統をもとに、「人間らしさと同時に神聖さをあわせ持つ『理想的な女性像』を提示したもの」(本書14ページ)として一つのステロタイプを作りました。それはヌードを描く言い訳として長らく通底するイメージの誕生でもあります。
理想像から今ここにいる女性へ
その一方、同時期のラファエロによる「小椅子の聖母」で聖母マリアは単なる理想像ではなく一般的な母親のように描かれ、(特定の誰かではないにしろ)リアリティを持った女性像の萌芽が見て取れます。この傾向はのちの日本の浮世絵にも見られるものでありました。
時代は下って、19世紀に発表されたマネ作「オランピア」が発表当時酷評されたのは、先のヌードイメージを用いながら、女神ではなく現実の女性をモチーフにしたことにあります。それは「パリにいる現実の女性と真正面から向き合わされた鑑賞者」(本書83ページ)の好色な眼差しを否応なしに際立たせた、といえるでしょう。
パロディで問題提起する女性像
マネが行ったのはオマージュかパロディだったかはともかく、20世紀以降の芸術家は美術作品のパロディで美術史における女性像に疑義を投げかけました。ニキ・ド・サンファルによる「ミロのヴィーナス」はかつての名作を模した像を銃撃することで「現代社会が押し付けてくる『女性像』に対する抗議」(本書151ページ)を示したのです。
またユキ・キハラはゴーギャンの作品をもとに、性的マイノリティの人々をモデルにした作品を発表しました。「そもそもゴーギャンは、当時実際に先住民の第3のジェンダーの人々を描いていたのだろうか?」(同206ページ)との問いは、美術が描いてきた男と女という二元論的なジェンダーを揺るがす力を持ちます。
かつて描かれなかった人々へ
西洋美術において描かれる女性はほとんどが若い白人女性であり、年令を重ねた女性やアフリカ系女性などは描かれたとしても役割を持たされ、脇役に徹していました。本書では彼女らが主役となった数少ない作品も紹介、20世紀以降にはその問題点を告発する一方、従来の価値観に縛られないありのままの美しさを称える作品も増えてきたのです。
現代においても「ルッキズム」の言葉を耳にするほどに、美しい女性のイメージは揺るぎなさをもって社会に浸透しています。本書はその状況に一石を投じるものですが、歴史的においてもそのイメージにはある種の揺らぎがあり、その変遷を見るにつけ「美しさ」とはなにかを考えさせられます。
「女性の身体の美術史」エイミー・デンプシー 著 村山由鶴 訳 パイ・インターナショナル 4389円(税込)