現代においても、ヌードという形態の美術にある種のいかがわしさを感じる人は多いかもしれません。「ヌードがわかれば美術がわかる」(以下、本書)は、美術史の中でのヌードを探りつつ、その背景と謎を探る一冊です。

ヌードという美術表現を解剖してみる
本書は解剖学者の著者による、ヌードをテーマにした美術を考察するものです。世界的に見ればヌードをモチーフにした美術は欧米諸国が中心であり、それが他の地域に広がっていったと見られがちですが、地域の差はあれ「ヌードは、美術の中心的なテーマである」(本書5ページ)と考えて差し支えないでしょう。
なぜなら先史文明の時代に作られた「ヴィレンドルフのヴィーナス」や日本の土偶など、人間像のモチーフは裸の女性がよく見られるからです。その時代の人間は(最低でも性器を覆うだけの)衣服を着用していたわけで、「裸とは非日常、非現実の姿だった」(同26ページ)ものを使って製作者は何を表現していたのでしょうか。
ヴィーナスがその衣装を脱ぐまで
知ってのとおり古代ギリシアでは、神に捧げる競技会・オリンピックにおいて出場者たちは全裸で競技していました。その非日常に習って神々の姿は理想的な人体彫刻で表現され、多くの神は全裸で象られていましたが、女神に関しては長らく衣服をまとった姿で表現されていました。
それでも時代が進むに連れ、「サモトラケのニケ」などの張り付く薄衣によってその肉体を浮き立たせる表現が行われ、「ミロのヴィーナス」のようにその体を晒すのは古代ギリシャ文明の末期まで時間がかかりました。そうなるまでの理由は不明ではありますが「女神が服を脱いだっていいじゃないか」(本書63ページ)とのベクトルが働いたのは無理からぬことでしょう。
俺の烏口腕筋を見てくれ〜!
古代ギリシアやローマに習ったルネサンス期に、人体表現の基礎として美術解剖学が芽吹いたのは言うまでもないですが、(男性はともかく)女性像の表現においてはその成果が現れていたとはいえません。当時の女性像代表として「賞味期限の切れたヴィーナス像の新しいバージョンではあった」(本書116ページ)と著者が定義した聖母マリアがあります。衣服をまとったその姿では美術解剖学の入る余地はなかったのでしょう。
時は流れ19世紀末、ロダンの彫刻「青銅時代」は「俺の烏口腕筋を見てくれ」(同160ページ)とばかりに解剖学的正確さで造形されています。同時代のモディリアーニによるデフォルメの効いた裸婦ですらも、ギリシャ文明から続く人体表現の系譜上にあり、美術解剖学の重要性を肯定するような表現が現代まで続いているわけです。
知っておきたい美術解剖学
「美は、人体の解剖学的な世界と、表裏一体でもあるのだ」(本書164ページ)と著者が語るように、巻末にはヌードを構成する美術解剖学の知識を収めています。歴史的な解剖学の図版を用いて解説されるそれらはあくまで一部ではありながら、「解剖学がわかればヌードがわかる」(同216ページ)重要なものであります。
果たして、ヌードという美術は何なのか。実態とは違う素材を使い、非日常な「裸」を用いて作られたそれらは、文化やテーマの違いはあれ、人体のエッセンスを表現することは共通しており、人間の根源にある衝動を具現化したものに違いはありません。
「ヌードがわかれば美術がわかる」布施英利 著 集英社インターナショナル新書 836円(税込)