機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史

 スーパーのセルフレジを初めて使用したとき、思ったより手間取ったことはないでしょうか。「機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史」(以下、本書)は、最新技術を運用するにあたって人間側が感じる不便さを考える一冊です。

機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史税込968(2026/05/09時点)

「使いにくい」と言えないこんな世の中は

 本書はテクノロジーが発展する中、使いにくさがあふれる状況を指摘し、一歩立ち止まって考察するものです。現代の生活はネット通販や店舗の予約及び支払い方法など、スマホで完結するほど便利なサービスが一般的になってきました。しかし、そのサービスを享受するための最初のハードルが非常に高いのも否めません。

 それらを使いこなそうとするならば、あらゆるところから情報を入手したうえで慣れることが必須であります。それができない人々は「情報弱者」のレッテルを貼られ、「使いにくい」といえずに肩身の狭い思いを強いられます。果たしてそれは仕方のないことなのでしょうか。

効率化が、使いにくさを促進する

 この状況は、デジタル機器とインターネットの普及が一因であるのは疑いの余地がないでしょう。これまでのように何かのボタンを押せばシンプルな反応が出るアナログな機械に比べ、ソフトウェアによる操作は多機能な反面、目的のクリック部分を見つけるのが難しく、誰でも使えるようなユーザーインターフェース(以下、UI)が求められながら未だ到達していない部分が大きいのです。

 さらにセキュリティの観点から、本人認証や利用規約の確認などトラブルを防ぐための手続きは煩雑化を増し、さらなる使いにくさにつながりました。そんな利用者にとって無意味な作業「ブルシット・ジョブ」(本書40ページ)が増えるのは作業効率を高めるため、という矛盾をはらんだシステム構造が見えてきます。

人間よ、エレベーターに学べ

 本書では過去に学ぶ意味で、新技術が人間社会に溶け込むまでの歴史を紹介しています。「人類が生み出したテクノロジーの中で、最も洗練され、成熟した装置」(本書70ページ)と著者が定義するエレベーターは、かつて操作するには専門技術を必要としましたが、現在は誰でも使用法が分かる一般的な機械となりました。

 そこまで浸透するには当然のように人間側の拒否反応があり、未熟な技術ゆえの事故がそれに拍車をかけました。しかしそれを凌駕する便利さと生活環境の変化は、技術の進歩と歩調を合わせるように受け入れる基盤を確立したのです。そこに至るまで100年以上かかったとしても、人間と技術は折り合いをつけられると考えられるのではないでしょうか。

デジタル社会には、まだ可塑性がある

 もちろんデジタル時代になって半世紀も経たない現在にあっては、そこまでの受け入れ素地はありません。未だにUIを始め規格の統一、企業任せのプラットフォーム構築など改良すべき点はいくらでもある状況であり、それを解決するのは「(社会の)こうした隙間を、つなぎ合わせるロールモデル」(本書181ページ)と著者は説きます。

 確かにいつの時代でも最新技術を拒否する人々は存在し、彼らが感じる恐怖を緩和する必要はあるでしょう。しかしその過程にこそ技術をアップデートするヒントがあり、人間の幸福を叶える手がかりが眠っている、と考えられないでしょうか。

「機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史」速水健朗 著 集英社新書 968円(税込)

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