ファミコンが登場してから40年が過ぎ、それに付随する雑誌などのメディアも同様の歳月を重ねました。「198Xのファミコン狂想曲」(以下、本書)はそんなムーブメントの中心にいた人物によるテレビゲーム文化黎明期の記録です。

(本記事では「ファミコン通信」を「ファミ通」と略しますが、改名後の誌名は「週刊ファミ通」と表記する旨、ご了承の程を)
「ファミコン通信」が「ファミ通」になるまで
本書は今に続くゲーム雑誌「週刊ファミ通」の黎明期を記述したものです。その編集長を努めた著者はパソコン雑誌「月刊ログイン」の1コーナーだった「ファミコン通信」(以下、「ファミ通」)を独立した雑誌として立ち上げ、週刊誌にまで成長させました。本書ではそこまでに至る経緯を中心に語られます。
本書に登場する人物のほとんどはペンネームで記述されていますが、(本文下の注釈にあるように)基本的には「ファミ通」に関わった人物で構成されております。著者も「東府屋ファミ坊」の名で紙面を賑わせた一人であり、ここに「ファミ通」の独自性が垣間見られるでしょう。
ゲーム攻略本とゲーム雑誌の始まり
「ファミ通」創刊の前段階として、著者はファミコン版「ドルアーガの塔」の攻略本に取り掛かります。同作は事前情報なしでクリア不可能な作りであり、「その攻略内容を本にして発行するというスタイルは今まで皆無だった」(本書73ページ)こともあって空前のヒットを飛ばしました。
しかし86年創刊の「ファミ通」は当時のファミコン専門誌の中で後発であり、それゆえ発行部数で苦戦を強いられます。その中でライターによりゲームの採点を行う「クロスレビュー」やゲーム以外の記事を増やすなど独自の戦略を打ち出し、「ドラゴンクエストⅢ」の大ヒットに乗るような攻勢をかけて「けっこう後続雑誌たちを離している単独2番手」(同206ページ)にのし上がることになります。
傑作ゲームとその周辺
そんな編集作業と並行して、著者は幾多のゲーム開発に関わることになります。それはゲームデザイナー(この言葉も著者たちの発想による)・堀井雄二とのタッグを組んだアドベンチャーゲーム「オホーツクに消ゆ」でのロケハンに始まります。同作はパソコンゲームでしたが、後にファミコン版も制作されました。
また、ファミコンのボードゲーム「いただきストリート」に関わるも販売個数は振るわず、スーファミに移しての続編では音楽をメジャー作曲家・筒美京平に依頼、氏のファンだった著者との関わりが1章を使って語られます。いずれにせよ著者の「新しいゲームを作りたい」という想いが原動力になって制作されたゲームは少なからずあるのです。
あの頃のカオスが、ゲーム文化を築いた
80年代初頭のパソコンを中心とする文化は、前例のないことばかりで構成されていました。それゆえ本書で書かれたとおり、誰がゲームを作ろうが専門誌を作ろうが垣根はほとんど存在せず、入れ代わり立ち代わり人が交錯しながら世界を広げつつありました。著者はその一人としてゲーム文化を形成していったのです。
本書が細かく章分けされ、前後のつながりがわかりにくくなっているのは著者の幅広い活動ゆえであり、(当時を知っている人はもちろん)本文下の注釈を参考にしながら読み進めてもらえればそのカオスな時代の空気が感じられるのではないでしょうか。
「198Xのファミコン狂想曲」塩崎剛三 著 SBクリエイティブ 2200円(税込)