セガハード戦記

 ファミコンが40周年を迎えた、ということはセガのゲーム機たちも40周年を迎えたことになります。そう考えると、セガのゲーム機たちの苦闘がはるか昔のようです。「セガハード戦記」(以下、本書)はそんなゲーム機を開発していた時期のセガを記録したものです。

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セガ、かく戦えり

 本書はセガに在籍している著者が、家庭用ゲーム機を開発していた80年代から2000年初頭まで、20年近い期間のセガの歩みを綴ったものです。SG-1000から始まり、ドリームキャストで終わるその歴史は家庭用ゲーム機の創成期から成熟期に当たり、セガはその一翼を担っていたのです。

 70年代後半、インベーダーゲームのブームに始まるテレビゲームの歴史。それはゲームセンターから家庭でゲームができる流れを作り、家庭用ホビーパソコンと並行する形で家庭用ゲーム機が生み出されていきます。セガ初のゲーム機・SG-1000がホビーパソコンとして設計されたSC-3000をゲーム機に特化させたものだったのはその表れといえるでしょう。

還らざる選択の終わりに

 奇しくもファミコンと同時に発売されたSG-1000。序盤は「ファミコンの代わりに飛ぶように売れた」(本書42ページ)とはいえ、ファミコンに売上で抜かれたセガはある選択を迫られることになります。それは、

  1. ファミコンより高性能なハードを開発すること
  2. ファミコンのソフトを開発すること

 結果、「あえてライバルとして戦う道を選んだ」(同55ページ)セガはセガ・マークⅢを開発するも、強みであった自社のアーケードゲームを移植できるほどの性能を持たせられず、ファミコンに追いつくことは叶わなかったのです。

 ただ、サンソフトなど他メーカーに自社ゲームのライセンスを貸与し「スペースハリアー」や「ファンタジーゾーン」をファミコンなどに移植していたわけで、結果的にダブルスタンダードとなった戦略は新たに開発したメガドライブの発売時期と重なり、その足を引っ張る結果になったのは皮肉としか言いようがありません。

ハード技術の継承者

 セガ・マークⅢは「マスターシステム」と名を変えてアメリカで販売するも、ここでもファミコンの海外版・NESに敗退。しかしヨーロッパでは大健闘、長きにわたって愛されるゲーム機となり、セガ海外進出の足がかりとなった名機としてその名を残します。

 日本ではファミコンに敗北したマスターシステムではありましたが、セガ初の携帯ゲーム機・ゲームギアにおいてそのハード設計が生かされることになります。「これまでの資産やノウハウを流用できたので、ハードの発売当初から質の高いゲームをそろえることができた」(本書166ページ)おかげで任天堂の携帯ゲーム機・ゲームボーイとも渡り合えた側面は評価すべきでしょう。

 またスーファミと渡り合ったメガドライブも、そのハード設計は知育玩具「キッズコンピューターPICO」に受け継がれ、「累計販売台数は340万台にも及ぶ大ヒット商品となった」(同160ページ)事実があります。本来の家庭用ゲーム機よりも別のところでヒットを出すのがセガらしいところでしょうか。

セガ、20世紀の終わりに

 20世紀の終わりに発売されたドリームキャストも新世紀を迎えた2001年には製造中止を発表し、これがセガ発ゲーム機終焉の瞬間であります。その後もセガは業務形態を変え存続しているのは知ってのとおりでありますが、セガがゲーム機開発に邁進していたこの時期が、最も波乱万丈だったのは疑いの余地がないでしょう。

 思えば体感ゲームの「スペースハリアー」にしろ、3D格闘ゲーム「バーチャファイター」にしろ、家庭用ゲーム機でのオンラインゲーム「ファンタシースターオンライン」にしろ、セガは先駆者でありました。それゆえ失敗はつきものであり、それも含めてファンはセガを愛していたのかもしれません。(Re)

「セガハード戦記」奥成洋輔 著 白夜書房 1980円(税込)

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