性表現規制の文化史

 アニメや漫画では、性表現に高度な配慮が求められます。しかし、それはなぜ行われなければならなのでしょうか。「性表現規制の文化史」(以下、本書)は性に関する規制を歴史的観点から、その理由と存在意義を考察したものです。

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「えっち」はなぜいけないのか?

 本書は法学者の著者が、「なぜ『えっち』がダメであるという観念が形成されてきたのか」(本書10ページ)について得意分野である欧米法律の観点から探ったものです。欧米の場合とはいえ、その影響を受け文化を形成している現代日本においても参考になるでしょう。

 そもそも子孫を増やすために必要な性が、忌避される事自体矛盾しているのは明確でありながら、我々はその理由について考えてみたことがあるでしょうか。本書で著者がそれを突き詰めていくと、意外な文脈からその成立過程が見えてきます。

「わいせつ」は上流階級が生み出した?

 まず「わいせつ」とは本来「庶民の日常生活の中でのだらしない様子」(本書16ページ)であり、性とは関係のない言葉でありました。そしてその意味は、上流階級が下層階級に対し用いる中で性に関わるだらしなさを指摘する言葉として変化しました。

 ではなぜそのような使い方をしたのか。それは上流階級にとって富の維持と継承は重要課題であり、そのためには後継者で揉めることのないよう、性に関して厳格にならざるを得なかった事情によります。もちろん宗教的な理由もありますが、いずれにせよ根本的には同じであります。

いや、青少年にはまずいでしょ

 先の「富の維持」という意義に基づいた性の概念が習慣づいた社会では、市民階級にもそれが広く「道徳」として根付くことになります。しかし近現代には性に関する研究が進み、それまで行われていた性の規範は生物学的において、むしろ不都合であることが判明します。

 そして性規制が緩和される一方、旧来の道徳によって抑圧されてきた女性たちが「性表現規制には(中略)政治的闘争の過程の中で、一種の戦術として」(本書140ページ)その権利を主張するなどしながら、「青少年/未成年/児童」(同180ページ)を保護する名目で一定の規制は続いています。

さて、この矛盾はいかがなものか

 本書の終盤では日本での場合も収録されていますが、明治以降の西洋文化輸入以前にも、上流階級の都合によって性の規範が変化してきた流れはさほど西洋と変わりはないようです。ただ、筆者は「実質的な犯罪率の上昇や反社会的行為の増大といった害悪とほとんど因果関係は見られません」(本書201ページ)としており、性表現規制の実効性には疑問を呈しています。

 アニメや漫画に造詣のある著者が著した本書、「もとより完全な内容を諦めて書きはじめられた」(同207ページ)とはいえ、現在における状況に疑問を挟むには十分なものです。これを機にこの問題を考えてみてはいかがでしょうか。

「性表現規制の文化史」白田秀彰 著 亜紀書房 1980円(税込)

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