先のオリンピックでは外国選手の腕や足にタトゥーが彫られているのが散見されましたが、日本の選手は髪を染めることはあってもタトゥーは見られなかったように思えます。「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」(以下、本書)は日本の裸やヌードに関する文化の変遷を主題とした一冊です。

(本記事においては性描写に関する記述がある旨、ご注意の程を。また「いれずみ」に関する表記は本書に習い「刺青」とする)
ネイキッド・プレイス、日本?
本書は明治以降、西洋からいわゆる「芸術」が輸入されてからの裸に関する日本文化を俯瞰したものです。古代ギリシャに始まる人間の肉体に美を見出す価値観は、禁欲的なキリスト教による抑圧を経て「ヌード」という様式を形成しながら西洋文化に根ざしました。
かたや東洋、特に日本では「江戸時代以前の日本は裸の楽園であった」(本書047ページ)わけで、夏ともなれば(性器を見せなければ)裸になろうが咎められることはありませんでした。江戸時代に入ってのいわゆる春画でさえも全裸で描かれることはなく、人間の体そのものに美的価値を求める文化はほぼなかったわけです。
「ヌード美術」が輸入された日本の混乱
そんな日本も、明治の文明開化とともに公の場で裸になる風習が禁止されます。その一方人体描写においては裸を重視するヌードとともに西洋美術が輸入され、日本人の裸に対する見方が大きく転換しました。
黒田清輝の裸体画が展覧会で問題視されたように、当時の日本人はヌードが公序良俗に反するとみなしつつも「それまで凝視の対象ではなかった裸体に直面させられた当惑」(本書160ページ)のほうが大きかったわけで、これまでとは正反対の文化を取り入れた矛盾が日本の画家を苛むことになります。
画家がヌードを描くにしても「当初はモデルになる者がいなかった」(同162ページ)上、確保できたとしても「日本人のモデルの体型は画家たちが思い描く手本とはあまりにも隔たっていた」(同164ページ)ので、立ちはだかる障壁はいかばかりのものだったか想像に固くありません。
もう一つの流れ、生人形と刺青
そんな西洋美術とは別に、日本独特の肉体表現といえるのが刺青と生(いき)人形でありました。いずれも明治期以降衰退の一途をたどったものであり、特に見世物として作られた生人形は徹底してリアルな造形を追求したがゆえ、着物に包まれた本体は当時の日本人の裸体を再現していました。長らく美術という観点からは見向きもされなかったそれらは日本文化の中でも特異な造形であり、裸弁天など服を着せる仏像や西洋美術の裸体表現とはまた違ったアプローチで肉体に迫ったものといえるでしょう。
また刺青は縄文時代から存在しており、江戸時代になって独自の発展を遂げました。生きた肉体に刻まれた「人間の生そのものを美的に昇華しようとする刺青は、日本的な裸体芸術といってよいもの」(本書226ページ)で、現代日本では後ろめたい印象が強いものでありながら海外においては「現代美術としての刺青」(同256ページ)が認められつつあります。
「don’t worry, I ‘m wearing pants!」なニッポン
結果的に「西洋の芸術概念は(中略)まったく異なる文化と伝統を持つ日本においては、それは借り物のような不自然なものにとどまった」(本書250ページ)ゆえにヌードという形式が日本に根づいたとは言い難く、メディアなど一部の環境ではではかつてのように、性器さえ出さなければ裸をさらすことが受け入れられている現状があります。
刺青に肯定的な著者のように日本的な裸体に対する認識を見直す向きもある中、今一度立ち止まって裸に関して考える際に本書の存在はその道標となるでしょう。
「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」宮下規久朗 著 ちくま学芸文庫 1430円(税込)
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