美人画づくし 弐

 近年、新たに「美人画」と呼ぶべき絵画が発表されている時代となっています。「美人画づくし 弐」(以下、本書)は、その代表的作品とともに時代的背景を探る画集の2冊目です。

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美人画づくし(弐) [ 池永康晟 ]
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美人画不遇の時代を超えて

 本書は、現代美人画の中心的画家・池永康晟と、同様に美人画を描く画家の作品集です。江戸時代の浮世絵に代表される女性の姿を描いた美人画は、戦後日本に起こった他のメディアに淘汰される形で画壇での規模を縮小してきました。それを復興したのが池永たちなのです。

 「平成最後の美人画図鑑」(本書002ページ)と銘打って主な画家の作品を紹介していますが、日本画の技法で描かれた現代の美人画は、従来の表現にとらわれることなくその多様性をを見せています。そこに共通しているのは女性をモチーフにしているということだけ。

私が美人画を描く理由

 そして美人画を描くのは男女を問いません。本書では各々の画家が自らの絵について語っており、そこでは(直接的であれ間接的であれ)なぜ美人画を描くのかが浮かび上がってきます。当の池永の場合は異性としての女性に対する興味が大きいようですが、女性の画家は少し違うようです。

  • 「自分が描いた女性と自分が一緒に存在しているような、不思議な感覚」(本書041ページ)
  • 「最近では、女性のからだの胴体部分が特に興味深く感じます」(同058ページ)
  • 「『なぜ自分が女性像を描くのか』を探る」(同080ページ)

 と考え方は様々で、それが画風の多様性につながるのでしょう。

ピンナップと萌えが美人画にとって代わった

 先に述べた通り「美人画は五十年間忘れられていた」(本書132ページ)と池永は定義しており、その原因を戦後のメディアに求めています。本書ではそれに関するコラムを掲載、アイドル研究家の中森明夫とアニメ監督の平野俊貴に、それぞれ得意分野の目線で美人画のライバルについて解説しています。

 戦前アメリカに始まるグラビア雑誌と掲載されたピンナップガールという形式は、日本に輸入されるとまたたく間に男性の心をつかみ、80年代にはアイドルブームも加わってその地位を確固たるものにしていきます。それと前後して、アニメや漫画に登場する女性キャラに恋愛感情的なものを抱くいわゆる「萌え」現象も起こり、これまで美人画が担ってきた役割を、これらが半世紀にわたって奪ってきたわけです。

鑑賞者は妄想の隙間を求めている

 しかし、21世紀に入りインターネットが普及するにつれアイドルとファンの距離が近づき、幻想を提供するメディアとしては成立しづらくなります。そこに美人画の入る余地が生まれたといえるでしょう。またアニメや漫画の方法論を取り入れた美術作品も増え、美人画に影響を与えた部分も否めません。

 「やっぱり人は妄想したいんですよ」(本書134ページ)と語る池永。一過性のブームに終わるかどうかはともかく、人間の思いを反映しその受け皿として描かれた一連の作品に、再び脚光を浴びる時代が訪れたのは、人間が求めるものが不変だからかもしれません。

「美人画づくし 弐」池永康晟 監修 芸術新聞社 3080円(税込)

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