新編 SF翻訳講座

 外国テレビドラマをみていたお母さんが「あら、この人外国の人なのに日本語上手ね」というのは昭和あるあるですが、日本語で書かれた海外の文学を読んで翻訳を意識する人はどれくらいいるでしょうか。

 過去に翻訳された小説を新訳で改めて読み、その読みやすさに驚いた経験があるので、翻訳に関してはある程度意識していますが、翻訳という仕事に具体的なイメージを持てないのも事実。

 「新編 SF翻訳講座」(以下、本書)は「翻訳講座とはうたっていたけど、ほとんど単なるおもろいエセー」(本書328ページ)と書かれてはいますが、翻訳の片鱗を知るには十分な内容になっています。

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深く静かに翻訳せよ

 著者はどちらかと言えば書評家として有名ですが、本書では「生業」としてのSF翻訳家として、「海外SF翻訳の世界をもうちょっと身近なものにする努力もしてみたい」(本書179〜180ページ)ということで、本書はSF翻訳に関するエッセイをまとめたものになっています。

 とは言ったものの、冒頭から「理想は、小説と読者のあいだに“翻訳”という作業が介在しているのを意識させないこと」(本書20ページ)などと書いてあって出鼻をくじかれる感じがしますが、「原作をきちんと読み込んで、作者の意図を正しく理解したあとは、それにしたがって訳文を“演出”する作業が必要となる」(本書24ページ)と続き、翻訳の何たるかが示されています。

直訳、超訳、大翻案

 そこで出てくるのが「『原文の脚色はどの程度まで許されるのか』」(本書117ページ)という問題。ひと頃流行った「超訳」というのも程度の問題で、「じつは言葉を補ったり削ったりは、ほとんどの翻訳者が日常的に行っていること」(本書118ページ)で、多かれ少なかれ翻訳者によって原文の良さを引き出すために加工されることはあるようです。

 明治時代の作家、黒岩涙香が「モンテ・クリスト伯」を「巖窟王」として翻案した例を挙げて、極端な話、翻訳者が文章の大半を加工しても、作品として成立していれば翻訳としてはアリなのではないか、という意見も出てきます。もちろん前掲のように原作を理解するのが大前提ではありますが。

翻訳以前の問題

 さて、本書は翻訳に関するエッセイ集となっていますが、文中で書籍を紹介する箇所が多く、さながら翻訳に関するブックガイドの側面があります。その上、翻訳SF作品の引用もあります。「読んでみたい!」と思わせる名訳が乗っている反面、悪い例としての翻訳も載っているので、SF作品のガイドとしては微妙ですが…

 「あらゆる文章(他人に読んでもらうことを意図して書く文章)の極意は、ウケをねらうことにある」(本書146ページ)にはじまり、翻訳というところから離れて文章の書き方に言及している箇所も多く、人様に読んでもらう文章を綴っている者には耳の痛い言葉もあります。

SFとはスーファミのこと、ではなくて

 文庫化された本書は2012年の出版、それ以前に単行本化されたのはさかのぼって2006年、エッセイが書かれたのはそれ以前。やれ「ストⅡ」で遊んだだの、やれ「ドラクエⅤ」をクリアしただの、当時のことがうかがえる記述が多く見られます。

 エッセイがつづられてから30年あまり、良くも悪くもSFに追いついたような出来事が起きている昨今、出版不況や自動翻訳なんていうものも登場して、翻訳を脅かすような事態が進んでいるようにも見えます。
 それでも、SFがなくなることはないでしょうし、それを日本語に面白く翻訳してくれる人間がいなくなることもないでしょう。

 翻訳することを楽しそうに書いた本書を読むと、そんな気がしてくるのです。

「新編 SF翻訳講座」大森望 著 河出書房新社 850円+税

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