日本を代表する芸術家、岡本太郎は「芸術とは、見た人に『何だこれは!』と思わせること」という趣旨の発言をしています。しかし、それも度がすぎると世間に受け入れられず、スキャンダルを起こしてしまいます。「醜聞美術館」(以下、本書)は、中世から現代までスキャンダルに巻き込まれた芸術作品を紹介したものであります。
描きすぎた故に叩かれる
本書は、芸術作品とそれがどういう理由でスキャンダルとなったのかという解説で構成されています。
例えば、ルネサンスの先駆けとなった画家マサッチオの「楽園追放」は「時代の潮流に反して、マサッチオは宗教画において『人間』を描いた」(本書12ページ)が故に「当時のフィレンツェで憤慨の的となった」(同)とされています。
現代ではさほど問題にならないものが、ある時代にあっては大問題に発展したりします。本書ではスキャンダルの理由を四つに分けて作品を掲載しています。
芸術と宗教の微妙な関係
古来から、宗教と芸術は切っても切れない関係にあります。本書の初めに紹介されるスキャンダルの理由は宗教の教義に反するとされたものです。
有名なミケランジェロの祭壇画「最後の審判」では、裸体の人物が大量に描かれていることが問題視され、画家の死後、その弟子によって局部を隠すように加筆がされたという有名なエピソードや、ヴェラスケスが描いた「教皇インノケンティウス10世の肖像」では「普通の人と代わり映えのしない教皇」(本書30ページ)が描かれ、周囲の批判がありながら「教皇本人は、本作の納品を受け入れている」(同)という逸話も載っています。
オフィシャルとプライベートの狭間で
本書で複数作品が紹介されているのはギュスターブ・クールベと、フランシスコ・デ・ゴヤ。特にゴヤは宮廷画家でありながら二つの問題作を世に送り出しました。一つは版画集「ロス・カプリーチョス」。当時の社会を皮肉った内容に批判が殺到するのを見越して、とある店でひっそりと売ったとか。
もう一つは有名な「裸のマハ」と「着衣のマハ」。同一人物の着衣と裸体という二枚の絵はエロティシズムをかき立てるには効果的な仕掛けで、当時のスペイン宰相が個人的に依頼した絵画であります。
社会風刺と官能的な作品、どちらにしろ十分にスキャンダラスなわけですが、ゴヤ本人は批判にさらされながらもうまいこと立ち回ったようで、後代に現れるスキャンダルを逆に利用した芸術家に通じるものを感じます。
微グロ注意!これは芸術なのか?
20世紀は芸術に関して「実験の世紀」と言われます。前世紀末の印象派から始まり、キュビズムを立ち上げたピカソ、便器を「泉(噴水)」と名付けて出品したデュシャン、「アクションペインティング」(本書では「ドリップ・ペインティング」)として知られるポロックなど、従来の概念を覆す新たな手法が生まれるたび、世間はそんな芸術家に対し嘲笑もしくは批判をぶつけてきました。
そんな20世紀末、グンター・フォン・ハーゲンスは肉体を半永久的に保存できる「プラスティネーション」と呼ばれる方法を使い、実際の人体でエコルシェ(筋肉をむき出しにした人体像)を作り出しました。その上、それらに日常のポーズをとらせて「人体の不思議展」と称し世界中で展覧会を催したのです。「しかしながら、その成功には常に物議がともなった」(本書168ページ)状態は現在まで続いています。
ハーゲンスの作品(と呼ぶのもはばかられますが)は現代において芸術と捉えるのは難しいかもしれません。しかし、本書で紹介された過去のスキャンダラスな芸術は一般に受け入れられているものも多く、これから時代が進むにつれ、そのほとんどが問題にならなくなるのかもしれません。
「醜聞美術館」エレア・ボシュロン ダイアン・ルーテクス著 ユーキャン学び出版 3800円+税