70年代生まれの人には、名前は知らずとも大河原邦男がデザインしたメカには見覚えがあるのではないでしょうか。「大河原邦男 プロフェッショナルの50年」(以下、本書)は日本アニメでのメカデザイナーの先駆け、大河原邦男の仕事を自ら語った一冊です。

日本初、メカデザイナーの50年
本書は「機動戦士ガンダム」「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」(以下、「ヤッターマン」)などのメカデザインで有名な大河原邦男にインタビューし、生い立ちとその仕事について書かれたものです。約半世紀の仕事の中で、数々の画期的なメカを生み出してきた著者の秘密が明かされます。
著者はまずアパレル業界に就職しますが「面白くないから」(本書31ページ)退職し、全く無縁だったアニメスタジオ・タツノコプロに転職、美術背景の仕事を担当することになります。そこで直接の上司、中村光毅に出会ったことがメカデザイナーになるきっかけでありました。
今週のビックリドッキリ大河原メカ〜!
当時のアニメではメカデザイナーというものは存在せず、同社では中村がそれを担当し、著者はその手伝いを行っていました。1972年「科学忍者隊ガッチャマン」で「演出上、必要なものは何から何まで描き続けた」(本書39ページ)末、スタッフロールに「メカニックデザイン」として名が出ることになります。
以降、独立する中で「ヤッターマン」のメカデザインを担当し、メインメカから毎週登場するゾロメカまでデザインし続けました。「ギャグアニメのデザインというのはこの程度ぶっちゃけていいんだ」(同58ページ)との手応えを感じつつ、コミカルなメカは著者の仕事で一つの潮流となっていきます。
リアルロボット、大地に立つ
著者が仕事を始めた70年代、特に後半は玩具会社主導でロボットアニメが作られた時期であります。著者もその例に漏れず「最初に機構試作を作ったのは(無敵鋼人)ダイターン3になりますが、立体でプレゼンするのは(中略)面倒くさいからなんです」(本書70ページ)と、玩具としての立体化を前提にデザインをしていました。
そして79年、「機動戦士ガンダム」が放送されることになります。主役メカのガンダムは玩具化を前提としていましたが、「ガンダムに関する私のこだわりは、ふくらはぎですね。(中略)人間の筋肉を機械的に表すかってことにチャレンジしてみた」(同86ページ)と新しい要素を盛り込んだものになりました。
さらに商品化を考えなくていい「ザクは苦労しないで、一番良い結果を残している感じですね」(同91ページ)と、後世に残る傑作デザインが生まれた瞬間でもあり、それ以降「太陽の牙ダグラム」「装甲騎兵ボトムズ」など立て続けにリアルロボットと呼ばれるデザインを発表することになります。
とりあえず、リベットをつければメカになる
最新作「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」まで長年現役でメカデザインを担当した著者ですが、そこまで仕事を続けられた理由は何なのか。本書の中にそのヒントが隠れているようにも思えます。
- 「私の場合は完璧に仕事として割り切っているので、これでいいんですよ」(本書62ページ)
- 「当時のロボットアニメは(中略)半分は商売を意識しないとできない世界だったんです」(同89ページ)
- 「私がメカ好きということなんだと思います(中略)リベットを入れておけばメカに見えるという」(同44ページ)
クライアントの意向を汲み、それに答えながらも気負いすぎない、そんなスタンスが大河原メカの真髄なのでしょうか。メカニックデザインが当たり前になったアニメ業界の中で、著者のようなスタンスに立ち返ってみるのも必要なのかもしれません。(Re)
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