X68000とMSXは、日本製パソコンの中でも特殊な意味合いを持ちます。いずれもパソコンとゲーム機の中間的な扱いで、特にMSXはゲーム機からパソコンに興味を持つ子供にとっては憧れでありました。「MSXパーフェクトカタログ」(以下、本書)はMSXのゲームソフトに重きをおいた一冊です。
早すぎた夢のパソコン共通規格
MSXとは、1983年にマイクロソフトとアスキー(当時)が提唱したパソコンの共通規格です。それゆえ多くの家電メーカーから発売され、一大勢力を築きました(これについては本書の続編に詳しい)。しかしスプライト機能を備えた仕様はアクションゲームを作るには有利だったがゆえ、ゲーム機としての需要が高くなります。
85年それを払拭するため新たに上位互換のMSX2規格を立ち上げ、より本格的なパソコンとして設計されたものの、86年パナソニックとソニーが低価格のハードを開発、ゲーム機用途を全面に押し出した戦略で人気を博すことになりました。
後にマイクロソフトがOS・ウィンドウズを普及させ、ほぼパソコンの規格を統一させたことを思えば、MSXの開発は勇み足だったようにも感じますが、ホビーパソコンとして一定の成果を出したことに変わりありません。
ファミコンとパソコンのゲームができるよ!
MSXが登場した当時、パソコンの記憶媒体はカセットテープが主流でありました。ただMSXにはカートリッジスロットが標準装備され、ファミコンなどのゲーム機同様にROMカートリッジによる供給が可能だったのです。もちろんそれができたのは一部のソフトメーカーでありましたが、MSX本体の開発メーカーから発売することでその数を広げていきました。
その中でも「ボンバーマン」「高橋名人の冒険島」のハドソン、「パックマン」「ドルアーガの塔」のナムコ(当時)、「ドラゴンクエスト」のエニックス(当時)など、ファミコンでソフトを供給していたメーカーがMSXでも同じタイトルを移植していたのです。
その中でもMSXに注力していたのがコナミ。「イー・アル・カンフー」「けっきょく南極大冒険」など初期からROMでソフトを発売しており、特に「グラディウス」シリーズは(ファミコンよりグラフィックで劣っていたものの)「グラディウス2」に至りMSX屈指の名作に数えられるまでに独自の進化を遂げます。
MSX2でグラフィックが進歩するにつれ、エニックスの「ウイングマン」など他機種のパソコンゲームも移植されるようになり、当然のようにアダルトゲームも増えていくわけですが、それはまた別の話。
ディスクマガジンはSNSの祖か?
MSX2になると、ソフトの供給媒体として3.5インチフロッピーディスクが一般化していきます。そんな中「ぷよぷよ」のコンパイルが出した「ディスクステーション」に始まるディスクマガジンが多くなります。「文字通りディスクを雑誌に見立てて定期刊行化したもの」(本書054ページ)で、MSX2独自の試みでありました。
当時はパソコン通信がまだ一般化していない状況の中で、ディスクマガジンはメーカーのプロモーションであると同時にユーザーとの交流の場でもあり、現在のHPやSNSのような存在といえるでしょう。特に安価で場所を取らないフロッピーディスクを使った方式がMSX2ユーザーにフィットしたのかもしれません。
世界中で愛されたMSX
MSXは最終規格MSX-turboRでその使命を終えましたが、共通規格ゆえ「400万台以上普及したMSXだが、その半数以上は海外のセールスによるものだった」(本書050ページ)という功績を残しています。その地域は「非英語圏」(同)であり、アジアだけでなくヨーロッパや中東までも同じパソコンを使っていたわけです。
日本では先行してパソコンを発売した他メーカーに及ばなかったものの、「最初のパソコンはMSXだったという人物は割と多い」(本書002ページ)とおり、まだ庶民に手の届かなかったパソコンの普及に一役買った部分は称賛されてしかるべきでしょう。
「MSXパーフェクトカタログ」前田尋之 監修 ジーウォーク 2546円(税込)
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