「怪獣映画」というものはたしなむ程度にしか観ていないのですが、一時期はゴジラ映画を毎年観に行っていたものです。
「怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー」(以下、本書)は、「ゴジラ」から始まった日本の怪獣・特撮映画が、戦後日本社会の変化に伴い、変遷していく様を著したものです。
怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー: 特撮映画・SFジャンル形成史税込3,300円(2024/04/01時点)「ゴジラ」は公開当時、低評価だった?
今でこそ一作目の「ゴジラ」(以下、初代「ゴジラ」)は怪獣映画の傑作として語られているものの、本書によれば、1945年公開当時の評論では決して良い評価でなかったことが述べられています。これは同時期公開されていた、原爆をテーマにした一連の映画と比較されてのこと。このように、初代「ゴジラ」は当時単なる怪獣映画としてではなく、社会的な題材を扱った映画の一本として語られていたのがわかります。
特撮映画とSFの蜜月
本書において特撮映画と並んで扱われているのがSFです。「『特撮映画』に関心を寄せた者とSFに関心を寄せた者は、ある程度共通していた」(本書82ページ)のだそうで、本書では小松左京、星新一、安部公房など日本のSFを代表する作家が、思想や表現の違いはあれど何らかの形で特撮映画に関わっていたことが述べられています。また、時代が進むにつれ、特撮映画とSFにおける距離が様々に変化していく過程も描かれています。
ジャンル化した「特撮映画」の変容
「怪獣映画」、「特撮映画」など本文では表記が一定していませんが、本書で扱われている映画は「空想科学映画」とも呼ばれながら、1960年代から70年代までに「特撮映画」という一般的な呼称と共に映画の一ジャンルとして確立していきます。それと同時に初代「ゴジラ」がはらんでいた原水爆に関するメッセージ性のような「政治的」姿勢が希薄になり、「ポピュラー・カルチャーのジャンルは、どのような意味でも『非政治的』な領域となるに至った」(本書234ページ)のです。
平たく言えば、作品に「これはフィクションです」とテロップを入れて、現実の出来事を題材にしても「これは虚構で、現実とは何の関係もありません」という認識を送り手と受け手が共有する状態、というところでしょうか。
「再政治化」する虚構
本書において、「『社会』の存在を念頭に置いて特定の作品の良し悪しを判定すること、いうなれば『政治的』な形で文化を問題にすることは、なんら特別な行為ではない」(本書14ページ)ことでありながら、特撮映画に限らず現在のポピュラー・カルチャーが「非政治的」になっていることに著者はある種の警鐘を鳴らしています。
では、このまま「非政治的」な状態は続くのか。本書では最後に二つの作品を紹介することでその回答としています。それは「シン・ゴジラ」と「コンクリート・エボルティオ——超人幻想」(以下、「コンレボ」)。どちらも「怪獣・怪人モチーフと現実との関係にこだわろうとする試み」(本書264ページ)を著者が感じ取った作品です。
確かに、「シン・ゴジラ」に登場するゴジラは原発事故をイメージさせる存在として描かれているし、「コンレボ」は、「超人」と呼ばれる存在(そのほとんどは1970年代に登場したテレビ特撮番組のヒーローがモチーフ)が実在する架空の日本を舞台に70年代の社会を描いていました。どちらの作品も意図的に身近で重要なテーマを扱っているように思えます。
本書は論文をもとに書籍化されたもののため、用語の定義や言い回しの複雑さなど、読むには敷居の高いところがありますが、「政治的」という視点で特撮映画を語るという試みは興味深いものがあります。
「怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー 特撮映画・SFジャンル形成史」 森下達・著 青弓社 3000円+税