妖怪や怪物は人間の想像力が創ったもの、とよく言われます。しかしそれらは本当に根拠のない存在なのでしょうか。「古生物学者、妖怪を掘る」(以下、本書)はそんな妖怪たちを生物学的なアプローチで考察した一冊です。
鬼に角がついたのはなぜか
本書は、古生物学者の著者による「怪異とされたものを古生物学的視点から見つめ直してみる」(本書10ページ)ものです。いわゆる妖怪とされるものは、過去の人々によって言い伝えられたものですが、それらは純粋にでっち上げられたものだけではなく、何らかの事実が曲解されて伝わった場合も少なからずあるのではないか、との視点に基づくアプローチが本書で展開されます。
例えば人を食らうという鬼に角がついているのは、生物学からすればおかしいことになります。現実に存在している角を持つ動物はすべからく草食動物であり、なぜ鬼などの悪とみなされる妖怪に角がついてしまったのか。本書ではその成立と実際の生物と突き合わせて語ることで、人間がいかに得体のしれない生き物を理解しようとしていたのか、それは未熟ながら科学的な思考の原点だったのではないかという見方を示します。
鵺の正体はかわいらしい?
日本の妖怪の中でも比較的メジャーなものの一つに鵺(ぬえ)が挙げられます。色々な動物が混在したような姿で伝えられている鵺には、著者なりの見解があります。それは「絶滅した大型のレッサーパンダ」(本書63ページ)というあまりにも意外なもの。
しかし日本でレッサーパンダの歯の化石が発掘されており、それが大型であったことからかつて日本に大型種のレッダーパンダが生息していた可能性が導き出されます。とはいえ「もちろんこれは一つの仮説にすぎず」(同65ページ)、知的遊戯の域を出ません。
よくわからないものは、妖怪にしとけ
博物学が成立する前、化石が見つかるとそれらは妖怪などのモンスターとして片付けられました。象の骨にみられる大きな鼻の穴を一つ目と解釈してしまうのは、象を見たことのない土地の人々ならば仕方のないことでしょうし、クジラの化石を大蛇の骨と見なしてしまうのもあり得るかもしれません。
しかし、巻き貝化石の内部に宝石が充満し、宝石だけが残ったものを「月糞」もしくは「月のおさがり」と呼んで珍重したことは、間違いと一括りにできないセンスを感じます。それを単なる無知と片付けるのはあまりにも乱暴な見方ではないでしょうか。
「もしかしたらこうじゃないか」は科学の入口
「妖怪」とみなされたものは、当時の「研究者」と呼んでもいい知的探求心を持った人々の解釈で生まれたものであり、不明な部分を補完し、わからないなりの答えを導き出した研究結果といえるでしょう。つまり過去にも科学的なアプローチが行われていたわけで、そこに著者はある種のリスペクトを見出しているのです。
もちろん著者は妖怪の正体に決定的な正解を求めているわけではなく、「もしかしたらこうじゃないか」と思考することを楽しみ、そこから科学的な思考を身につけてジャンルを横断した研究の面白さを提示しているわけです。本書における「妖怪古生物学」との名称は、本格的な知的遊戯の意義を込めているのでしょう。
「古生物学者、妖怪を掘る」荻野慎諧 著 NHK新書 968円(税込)