「一人殺せば犯罪者だが、100人殺せば英雄だ」というようなセリフがあったのはチャップリンの映画だったでしょうか。一人ひとりは平和を求めているのに、現在も虐殺が行われているのはなぜ?「虐殺のスイッチ」(以下、本書)は、時に残酷になれる人間のからくりを探るための一冊です。

虐殺は、なぜ起こるのか
本書はホロコースト、カンボジア、ルワンダなど世界でおきた虐殺を皮切りに凶悪犯罪や屠殺まで、人間のもつ残虐性の仕組みを探るものです。「一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?」これが本書の副題であり、世界でおきた虐殺を実行してきたのは特別な個人ではなく、ごく普通の人々だったことが示されています。
著者がその疑問を感じたのは自らが制作したオウム真理教(当時)を扱ったドキュメンタリーでの取材過程であり、日本社会を震撼させた事件を引き起こした集団に属する人々に接したときの違和感が、その心に引っかかりを生じさせたのです。
取材で出会った疑問の始まり
「初めて施設内に入ったときに出会った信者たち一人ひとりはとても純朴で善良だった。邪悪で凶暴な信者などどこにもいない」(本書58ページ)と、著者にはメディアの報道でさらなる悪印象を刻み込まれた教団と眼前の光景が結びつかず、どちらの姿が正しいのか判然としなかったのです。
結果的に教団とメディアの間に立った著者は「自分たちが当たり前のように行ってきた取材(中略)の無軌道さと暴力性に、改めて気がついた」(同66ページ)と同時に「(事件を引き起こした)その理由とメカニズムを社会は考えねばならなかった」(同68ページ)と感じますが、日本社会はそれを放棄した形で今に至ります。
個人が社会に属するとき、「敵」が生まれる
いわゆる普通の人が、どうして虐殺を行えるのか。本書にはそこに至るまでの過程が掲載されており、そこには「自分たちを組織化する」(本書158ページ)段階が中間に位置しています。つまり国家であれ宗教であれ、個人が特定の社会に帰属することがその始まりとなるわけです。
そして、その集団の中で異分子を敵とみなし排除しようとするとき、人間は残酷になれる、とされます。まるでサバクトビバッタが集団発生すると凶暴化するように。これは社会的生物である人間にとって逃れられない仕様であり、その点ではいじめもテロリズムも変わりはないのです。
誰もが、そのスイッチを持つ
しかし人間に攻撃衝動があるとしても、理性を用いて文明を発展させてきたのは事実です。「歴史を知ること。今の位置を自覚すること。(中略)自分の加害性を忘れないこと」(本書220ページ)が虐殺を抑える手法だと著者は語ります。
関東大震災から100年が経過した2023年に、震災直後デマによって朝鮮半島出身者への虐殺が行われた事実を報道したメディアは少なかったように思えますが、現在でも止むことはない紛争や戦争、そこに伴う虐殺。こんな時だからこそ読んでもらいたい一冊であります。(Re)
「虐殺のスイッチ」森達也 著 ちくま文庫 858円(税込)