子供の頃、学校の図書館には動物を主人公とした物語が少なからずありました。大人になってそれらを読み直すのは恥ずかしいことでしょうか?「いまファンタジーにできること」(以下、本書)は作家アーシェラ・K・ル=グゥインによるファンタジー作品に関する評論集です。
いまファンタジーにできること税込1,089円(2024/09/23時点)ファンタジーを否定する大人たちに物申す!
本書は「ゲド戦記」「闇の左手」などファンタジーやSFを書いたル・グゥインによるエッセイ集です。ファンタジーや動物が登場する文学作品をテーマに、それらの物語が子供だけでなく大人にもいかに重要であるかを語ったものです。
著者が他人から勧められた本が自作の「ゲド戦記」ではなく「ハリー・ポッター」だった、とのエピソードから「伝統を体現しているような作品、(中略)模倣的でさえある作品を独創的な業績だと思いこむ」(本書42ページ)一般的なファンタジーに対する認識への疑問が本書の基調を成します。
人間と動物は違うが、同じ生物だ
本書の中盤では動物が主役の作品を紹介し、「シートン動物記」のような動物の生態を主軸に据えたものから、動物が擬人化されたものまで扱っています。いずれにせよ人間が生み出した物語である以上、ファンタジーの部類に属するそれらに対し、著者は単なる子供向けではない重要な側面を見出すのです。
それは文明を作り上げる代わりに「自然」という概念を生み出した人間が、文明から自然を排除したがゆえの「失われた荒野への憧れ」(本書143ページ)を思い起こさせる機能を持っていること。つまり人間も自然の一員であり、本書に見られる人間が動物よりも優れている前提の作品に対して、著者は批判の手を緩めません。
ファンタジーは物語のルーツで、ツールだ
「ファンタジーは文学のもっとも古い形態です」(本書160ページ)と定義する著者にとって、ファンタジー作品を子供向けと決めつけている大人は許しがたい存在に写っています。「リアリズムはフィクションの種類としては新しいもの」(同177ページ)である事実に気づかないまま、「視野が狭く、同時代の人間に関する事柄の日常的詳細に焦点が当てられている(中略)禍々しいほど人間至上主義的」(本書45ページ)な作品を唯一読むべきものと担ぎ上げているように思えるのでしょう。
人間が親しんだ物語はすべからく(かつての神話と同様に)ファンタジーであり、単なるメッセージの器でない、単純な善と悪に分けることなく、現実の反映としての良質なファンタジーに触れることは、子供だけでなく大人にも人生を生きるために必要な「思いのままに使えて最も適応性に富む道具」(同179ページ)を手に入れることだと著者は語ります。
スーパーマウスは、日夜戦い続けているのです
人々の間に「ハリー・ポッター」や「指輪物語」が受け入れられたことは喜ぶべきでしょうが、「ファンタジーは巨大な商業的ジャンルになってしまった」(本書180ページ)現在、無自覚なまま戦いを通した勧善懲悪に終わるファンタジーの氾濫に著者は危機感を覚えています。
本書ではその著者が「ゲド戦記」シリーズのメイキングを語る箇所があり、自らも安易なファンタジーを避けるべく持論を反映させたことや、読者から指摘されたミスをもとに新たな物語を紡いだ経緯などが見られます。巻末の自作漫画「スーパーマウス」など、著者の人となりもうかがえる一冊といえるでしょう。
「いまファンタジーにできること」アーシェラ・K・ル=グゥイン 著 谷垣暁美 訳 河出書房新社 2200円(税込)