その昔、色変えされた玩具といえばパチモンの証と言っても過言ではありませんでした。しかしそれを「カラバリ」ともてはやしたのは90年代のフィギュアブームに始まります。「アメトイブームはどこへ行ったのか」(以下、本書)は海外アクションフィギュアブームの実像を探った一冊です。
アメトイブームはどこへ行ったのか 90年代フィギュアブーム、熱狂の舞台裏税込1,430円(2024/11/18時点)「激ヤバ即ゲット」の証言者たち
90年代に起こったフィギュアブームにはガレージキットと海外アクションフィギュア、2つの流れがあります。本書は海外アクションフィギュアブーム(本書ではアメトイブーム)当時を知る人物へのインタビューで構成されたもので、それは日本の玩具文化を一変させるものであったのです。
80年代にもアメトイは流通していましたが、90年代に入りアメコミ「スポーン」のアクションフィギュアがブームの火付け役となりました。それはフィギュアをファッションアイテムとして集める文化が広まったことを意味します。「激ヤバ即ゲット」の言葉が躍り出るマニアックな商品がコレクターのみならず一般の若者をも魅了し、玩具に遊ぶ以外のステータスを付与しました。
パンクとアメコミとフィギュアと
アメトイブームは雨後のタケノコのごとく、フィギュア専門誌を生み出しました。その中でも「アメイジングキャラクターズ」「マッシブ・アクション・フィギュア」は従来のホビー誌の枠を超え、サブカル誌のテイストでアメトイを紹介しました。それらを編集したのが飯田昭雄であります。
そして飯田がそれらを編集するにあたり知識を乞うた人物の一人が岩永ヒカル。「パンクで、なおかつトイコレクター」(本書176ページ)な彼はフィギュアとアパレルを扱うショップを経営し、ブームを象徴するスタイルを確立したわけですが、本人からしてみればあくまでも自分の信念に従っただけであり、ブームに乗った自覚はないようです。
オシャレなブームに逆らった男
「馴染みのない海外コミックのキャラクターが(中略)コレクターやそのフォロワーに持て囃された」(本書260ページ)アメトイブーム。その中で、流れに逆らおうとしたのが「当時のアメトイブームの盛り上がりは理解するべき対象とは全く思えなかった」(同273ページ)ガレージキットの老舗・海洋堂の宮脇修一であります。
宮脇は「スポーン」フィギュアの質向上を知り、造形的には認めながらも「アクションフィギュアを茶化すようなパロディ商品」(同280ページ)を発売、ブリスターパックに覆われた国内キャラクターのアクションフィギュアが流通される流れになりました。反面、様々な理由でアメトイブームは国産の造形物に押されるように失速していきます。
「フィギュア」の新たな意味を生み出した時代
結果的に90年代後半の短期間に盛り上がったアメトイブーム。それを生み出したのはインターネットが普及していなかった時代、アメトイを入手するにはアメリカ本国へのアプローチを必要としていた、不自由さゆえの熱気を持ち合わせたコレクターたちの活動も一側面にあるでしょう。
しかしそれは造形物としての「フィギュア」という言葉を広め、フィギュアのコレクションを大人の趣味に引き上げた功績があります。今では忘れられたそんな時代の空気を、本書でうかがってみるのも良いのではないでしょうか。
「アメトイブームはどこへ行ったのか」しげる 著 ホビージャパン 1430円(税込)