作家カレル・チャペックが生み出した「ロボット」という言葉は、人間の代わりに働く存在という意味合いを持ちます。現在の日本にはそれに当てはまらないロボットたちが存在します。「役に立たないロボット」(以下、本書)はその実像と意義を探求する一冊です。
役に立たないロボットとは?
本書は近年生み出された、著者がいうところの「役に立たないロボット」について取材したものです。従来のロボットと大きく違うそれらは人間の労働を肩代わりするものではなく、むしろ人間の助けを要するものや、まともに動作しないものまで様々です。
本書冒頭では「役に立たないロボット」の定義を(ゆるく)行い、「AIBO」(以下、アイボ)「アシモ」などの現実に存在するもの、「ドラえもん」「がんばれ!ロボコン」など創作物に登場するものなどを挙げていますが、「役に立たない」の定義がある程度ブレてしまう問題も含めて、その存在意義を考えていきます。
「AIBO」供養に見る人間感情
現実にある「役に立たないロボット」の代表として、四半世紀前に発売された犬型ロボット・アイボがあります。本書では稼働しなくなったアイボたちを供養する寺に取材、その住職との話から人間の、ものに対する感情とその理由について考察しています。
同様にアイボたちを修理する会社の担当にも話を聞き、その中で共通するのはアイボに対して生き物のように接するユーザー(むしろ飼い主)たちの反応。「機械みたいな無機質なものにも仏の性質がある」(本書196ページ)と感じる人間の感性は「役に立たないロボット」に対する自然な反応を生み出しているのかもしれません。
「ドラえもん」を目指して
そもそもなぜ「役に立たないロボット」は生まれたのか。本書ではそれらの開発者にも話を聞き、そのきっかけなどを語ってもらっています。そこに通底するのは人間に代わって作業するのではなく、人間に寄り添うことでその心を変化させるという用途に特化したコンセプト。
「『人の代わりに仕事をする』ではなく、『人に働きかけて、人の状態を良くする』ことによって、結果的に生産性を上げる」(本書88ページ)ことが人間の幸せにつながる、との思いで作られた「役に立たないロボット」たち。「ロボットが『人の成長にコミットする存在』として発展していくと(中略)『ドラえもん』になるのではないか」(同92ページ)との未来も示しています。
良い子の友達、役に立たないロボット万歳!
こうなると、用途が違うだけで「役に立たないロボット」という名称は当てはまらなくなります。少なくとも人間の友達、もしくは相棒としてのロボットは「ドラえもん」以下数々の創作物において描かれ、それを享受した日本人が同様のロボットを開発する流れは、国際的に見ても先鋭しているのは事実です。
人間とロボットが補いあうことで互いの価値を高める、そんな社会が実現すれば、これまでの効率が優先される社会構造は変質するでしょう。その鍵を握る「役に立たないロボット」たちの現在を本書でのぞいてみてはいかがでしょうか。
「役に立たないロボット」谷明洋 著 集英社インターナショナル新書 1045円(税込)